こんにちは。
伊方町三机にある「須賀公園」(すかこうえん)。
そこにある「九軍伸慰霊碑」の存在を知っていますか?
三机湾は、ハワイの真珠湾に地形が似ていることから、海軍の極秘の訓練基地に選ばれ、挺身決死隊として選ばれた兵士たちが、ひそかに訓練に励んだゆかりの地です。その後、ハワイの真珠湾攻撃で実践に参戦し、戦死したとされる9名の兵士「九軍神」の慰霊碑が、三机湾横に整備された須賀公園の一角に昭和41年個人が求めた平和を祈念して建てられました。
戦勝や武運長久を祈願し、聞き届けてくれるといわれる神を指す。壮烈な戦死を遂げて神格化された軍人.
大東亜戦争中のハワイ海戦(真珠湾攻撃)において、甲標的に乗組み、未帰還となった海軍大尉(戦死後に海軍中佐)岩佐直治ら以下の9名が「特別攻撃隊の偉勳」として軍神とされた。(1942年3月6日海軍省発表)
『陸上爆撃機「銀河」を夜戦に改造したB29迎撃用のレーダー付き双発重戦闘機で「月光」を応援して夜間B29に対する本土防空戦に参加することになっていたが「性能不足」活躍の場がなかったという悲しい運命をたどる
昭和63年7月22日 松之浜沖の海底からひきあげられる』
海軍は、特殊潜航艇の訓練基地として三机湾を選び、訓練を開始した。三机湾は物理的に離れた場所にあり、人の出入りも少なく秘密保持に最適であったとされます。
搭乗員はここでの訓練後、真珠湾へと向かっていったようです。後日、真珠湾での戦死が報じられ、この時、三机の人々は、特殊潜航艇の訓練が行われていたことを知ることになったそうです。
令和時代を生きていると、歴史と出会うことが少ないかもしれないです。
現に、三机湾、須賀公園はひっそりと、のんびりとした場所であり、地元の方々が散歩やランニングをして過ごしています。そんな姿を見ていると九軍神の話が遠く、非現実のように思えてきますね。
しかし、これは嘘ではなく、これがリアルな日本の歴史ということ。
日本を振り返る、改めて歴史と向き合う
そんなきっかけをくれる九軍神慰霊碑を実際に訪れてみてくださいね。